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ようやく料金所(入城料500円)までたどり着き、そこからは険しい石段を上がっていき、3、4分で城跡まで着いた。

朝まだき、あたりは、うす闇である。

天守台のあたりには、既にたくさんの人たちがカメラを持って撮影スポットを確保していた。

夜が明けるにつれて、城跡の周りが、すっかり雲海に覆われていた。

下方に視線を当てると、町の灯りも霧に覆われている。

朝ぼらけの中、だんだんと城の石垣が正体を現してくる。

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雲海を背景に記念写真。

今回は時間の都合で行けなかったが、今度機会をみて、立雲峡から臨む竹田城跡の全景を見てみたいと思った。

下りは、案外楽に山城の郷の駐車場までたどり着いた。

帰りの雲海バスに乗りこみ考えたことがある。

『肱川あらしバス』の運行である。

松山を午前五時、肱川あらしを見るための大型バスが、長浜に向かって出発する。

国道378号線の海岸道路を下って右手の伊予灘を見ながら肱川あらし展望台をめざす。

車中では、肱川あらしのDVDが映し出されている。

オプショナルツアーとして、『肱川あらしを漁船に乗って見る体験企画』を用意、参加希望者を募る。

展望台で長浜大橋にかかる肱川あらしを見下ろしたあと、

国の重要文化財に登録された日本最古の道路可動橋、長浜大橋を見学。

すぐ近くには坂本龍馬が脱藩の際、上陸した港があり、四国路最後の夜を過ごした冨屋金兵衛邸がある。

末永邸を見学しながら、幕末から昭和の長浜歴史ストーリーに思いを馳せたあとには、

ふぐの味噌汁付きの朝食が待っている。

このツアーを実現させるためにも、もっともっと肱川あらしの予報を充実させなくてはならない。

さらにどんどん想像が膨らんでくる。

長浜を舞台にした自主映画の作成である。

肱川あらしを背景にした人情の町長浜でのラブストーリ。

高校生らを主人公にした町起こしの物語もいいかもしれない。

映画が話題になれば、長浜の自然や歴史に彩られたセピア色の光景は、注目を浴びるだろう。

さて今回、竹田城跡を見ながら実感したことがある。IMG_9969

IMG_9970ぼろぼろになっても、時の流れに耐え忍んでいる建造物のまわりには、癒しの空気があふれている。

顔にふれてくる色なき風に、優しい香りを感じたし、時を越えて、昔の忘れ物を取りに来たような気もしてきた。

IMG_9951竹田城跡のことは、テレビや写真で何度も見ていたが、実際に足を運んでみないと感じ取れないものがあることを痛感した。

今回の視察へ行く前に調べてわかったことだが、

雲海に包まれる天空の城といえば、あと二つある。

岡山県の備中松山城(現存の天守閣)と福井県の越前大野城(復興天守閣)である。

次回は是非これらをめざしてまた視察旅行の計画を立ててみたい。

 

(おわり)

 

文  濱田 毅  写真  フジワラヒロミ

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人口3万人余りの街に、全国からすさまじい数の人たちが訪れるようになり、その対応に市は大わらわになったらしい。

早朝、雲海に浮かぶ城跡を見るため、夥しい数の車が山頂をめざしてくるものだから、

山の中腹にある駐車場だけでは対応しきれず、路上駐車の社会問題が発生した。

現在は、自家用車の通行を規制して、問題解決を図っている。

観光客対応のため、竹田城課というお城だけの課が新設されるほどだから、朝来市の入れ込みようが伺える。

肱川あらしや予報会の活動などの雑談も交えて

約一時間余りの訪問だったが、とても有意義な時間だった。

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庁舎を出て、今夜の宿『但馬楽座』へと車を走らせる。

養父(やぶ)温泉に浸かり、夕食では、但馬牛を堪能した。

翌朝は、早朝四時に出発なので、早めに寝床へ就いた。

竹田城跡へ行くには、いくつかのルートがあるようだが、

山城の郷第一駐車場から、徒歩約40分の西登山道のコースを選択した。

駐車場からは、一般車両は通行止めになっている。

山城の郷までは、本来なら自家用車で乗り込めるのだが、土、日は、車の混雑を避けるため禁止、

市内にあるスーパーから雲海バスを利用しなくてはならない。

駐車場まで約20分、運賃は、片道おとな500円だった。

ホテルを出発したときから、町全体にうっすらと霧がかかっていて、城跡からの雲海眺望を確信した。

バスを降りて、いよいよ徒歩開始。この日の気温は十度。かなりの人がいくつもの群れをなしながら山頂をめざした。

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登山道には、ほとんど街灯がなく、懐中電灯を照らしながら歩いて行く。

登山道と言っても、アスファルトの車道をくねくねと、ひたすら単調な道を上って行く。

30分くらい歩くと、汗びっしょりになった。太腿も痛くなってきて、かなりきつくなってきた。

前方を行く仲間の背中を追いながら、ただひたすら足を前へ前へと進めていくだけだった。

(続く)

『天空に浮かぶ城、竹田城跡へ』page 001

『天空に浮かぶ城、竹田城跡へ』

 

濱田  毅

 

 

秋晴れの日、肱川あらし予報会の五人が、雲海に浮かぶ竹田城跡をめざした。

これには理由がある。

竹田城跡の雲海は、静なる霧、片やこちらの肱川あらしは、動なる霧。

静と動の霧がタッグを組んで、世界自然遺産登録に名乗りをあげようというのである。

竹田城は、兵庫県朝来市(あさごし)にある。

市の観光課の方に連絡を取り、視察を兼ねて交流を図りたい旨伝えたところ、快く応対いただいた。

2015年10月16日(金)午前8時、肱川あらし予報会のメンバー五人が、兵庫県朝来市へ向けて出発した。IMG_9615

雲海を臨むためにも早朝に出かける必要があり1泊2日の計画を立てた。

朝来市は、兵庫県北部但馬地域に位置する。車でおよそ四時間半の距離である。

瀬戸大橋を渡り、播但連絡道路、朝来インターチェンジを降りて国道312号線を走っていると、

左前方、円山(まるやま)川を挟んだ小高い山頂に山城が見えた。竹田城跡である。

はやる気持ちを押さえ込み、まずは朝来市南庁舎をめざした。

ここで、竹田城課主事藪脇さんと産業振興部主任の観光交流課羽渕さんと会う約束をしている。

南庁舎は、本庁とは住所を別にしていて、その建物の佇まいは、昭和レトロの雰囲気を醸し出していた。

応接間には、竹田城跡の写真が壁一面に貼られていた。

藪脇さんと羽渕さんには、本当に親切な対応をしていただいた。

IMG_9739詳しい資料をもとに、とても興味深い話を聞くことができた。

雲海が出る時期は、9月から11月の、明け方から午前8時頃まで。

昨年は、9月は8回、10月は10回、11月は8回出たらしい。

発生条件は、次の四つがポイント。

 

1、当日、日本海に高気圧の中心があること

2、よく晴れていること

3、朝方と日中の気温の差が大きいこと

4、風が弱いこと

高気圧に覆われ、晴れて風の弱い日は、

放射冷却によって地表付近の空気が冷やされて飽和し、水蒸気が小さな水滴に変わり霧が発生する。

いわゆる放射霧であるが、竹田城跡の雲海も、おおむねこのようなメカニズムによる。

つまり最高気温と最低気温の差が大きい日の翌日の早朝が狙い目のようである。

これはまさに、肱川あらしも同様だ。

注目すべきは、竹田城跡入込者数の推移である。

平成17年、12000人、18年、20000人、19年は、20000人、20年は23000人、21年は35000人、

22年52000人、23年は98000人、そして平成24年には、237200人と一気に増えている。

IMG_9961平成18年に、「日本100名城」に選ばれてから、徐々に数を増やし、23年頃からは、SNSの影響が功を奏したらしい。

平成24年には、高倉健主演の映画『あなたへ』が公開され、爆発的に入込者が増えたらしい。

この映画の中で高倉健の妻を演じる田中裕子が、竹田城跡で、宮沢賢治の童謡「星めぐりの歌」を唄うシーンが有る。

その景色の素晴らしさにたくさんの人が心動かされたのに違いない。

(続く)

『風光り、風渡る』

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『風光り、風渡る』
今年もやってきた、真っ白な霧の集団。
いつもは見えない風が、ついにその正体をあらわす。
ゴオオオー、ゴオオオーとすさまじい音をたてながら、
たちまちあたりを墨絵の風景に変えてしまう。
上流から下流まで数十キロ、
S字をくり返し蛇行する河流の道案内で、やっとここまでたどりついた。
赤橋の上で、ほんのつかの間、息を正す。
そして朝陽の微笑のエールを受けながら、さらなる旅を始めようとしている。
果てしなく広がる海へ、
未知なるものへの憧憬を孕(はら)んで、
風光り、風渡る。

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秋から冬にかけ、そして初春まで、
早朝、この赤橋を真っ白に変えてしまうほどの濃い霧が発生する日があります。
河口の町、長浜の人たちが、「あらせ」と呼んでいる「肱川あらし」の吹く日です。
これは上流の盆地と伊予灘の気圧の差から生じる現象で、
肱川の特殊な地形が生み出す局地風として、
世界的にもとても珍しいものとして注目を浴びています。
夜から早朝にかけ、盆地にたまった霧が、狭いV字谷を通って海に吹き出す強風は、
さらに沖合いへと達し、静かに旅立っていきます。
その幻想的な光景に魅せられ、
「あらせ」のシーズンともなると、全国各地からたくさんの人達がやってきます。
この壮大な自然のパノラマをひとめ見ようと、
そしてそれをカメラにおさめようとしますが、
時には霧は思わせぶりの声をあげるだけで、
その姿を見せず、人々をがっかりさせててしまう事もあるようです。
「あらせ」発生の日は、気まぐれです。
天気図などから、ある程度は予想がつきますが、
その霧風の濃淡は、優しく包み込む大気のキャンバスの中で、
風の意志を色濃く投影して、微妙に変化しながら進んでいるからです。

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そう、風の意志、
激しい「あらせ」を目にするたびに、とても力強い風の意志を感じてしまいます。
木々の葉っぱをふき飛ばし、水底の小石までころがしながら、
真っ白な息を吐いて、海へ海へと突き進む「あらせ」は、
まさに感動的な自然の抒情詩です。
まるで山奥の木々の想いをのせて、
そこで暮らしている人たちの、
まだ見ぬ遠い風景への憧れをも孕(はら)むかのように、
腹の底から発するような雄たけびをあげながら、河口へとつき進んでいきます。
下流の町では、その「あらせ」を迎え入れ、豪快な自然の吐息に目をみはり、
風の行手に果てしなく広がる海への想いを募らせます。
まさしく「あらせ」は、人々の感情を呑み込み、
どんどん膨らみながら疾駆する風といえるでしょう。
風白くて、華やかな色はないけれど、
人々の希望や憧憬が燐(りん)光を放ち、「風光る」のです。
そしてそれはまた、こなたからあなたへと別離を伴いながら「風渡る」、
ちょっぴり悲しい匂いのする風でもあるのです。

未知なるものへの憧憬が捨てきれず、
松尾芭蕉は46歳の時に、みちのくへの旅を決行しました。
「奥の細道」にはその旅の消息が存分におさめられています。

この「あらせ」をまのあたりにするたび、
私は、その荒ぶれた激しい霧風の中に、
万葉人の熱き思いをだぶらせ、芭蕉ら先人たちの句を思い浮かべ、
意識が、流れ行く風景を静止画面としてとらえるようになり、
静謐(せいひつ)な心持ちになるのです。
そして未知なるものへの憧憬が、
沸々(ふつふつ)とこみ上げてくるのを抑えることができなくなるのです。

人々の様々な思いを孕(はら)んで、「あらせ」が吹いた朝、
その日の午後は決まって穏やかな晴天になります。

「冷(ひ)やいねえ」

赤橋の上では、「あらせ」をまともに受けて
集団登校の子供たちが背を丸め、前かがみで学校へと急ぎます。

沖では、河口から吹き出す「あらせ」をまともに受けて、漁船の一日が始まります。

「ぬくうなるぞ」

「あらせが出とるきのう、今日はええ天気じゃ」

町のあちらこちらでお年寄りのつぶやきが聞こえてきます。

冷たく、激しく、そして光輝く、、、
そんな「あらせ」に吹き飛ばされそうになりながらも、
お年寄りのつぶやきにほっとして、
「あらせ」をすっかり見送ったあと、
この小さな町にも、やっと春が訪れます。

果てしなく広がる海へ、
未知なるものへの憧憬を孕(はら)んで、
風光り、風渡る。

おわり

文 濱田 毅  写真 SHIGERU AONO